みなみの文芸同好会。

部活になりたい。

The Engine ——稀代 希世

 いつも通りに眩しい太陽に恨み言を言いながら、僕は森の茂みを潜り抜けた。
 あの美しい小鳥を見たのだ。それは稀に見る七色の小鳥で、最後に見たのは僕がまだ剣の稽古を始めたばかりの頃。陽光を美しい色に分けて突き返すその羽根は、さながら虹そのものを身体に纏わせているようだった。まだ幼かった僕はそれが神様の使いなんだと信じて、見つけるたびにお祈りをしていた。
 でももう、今日の僕は違う。
 お祈りしているだけじゃダメなんだ。神様は忙しいから、ただお祈りしてるだけじゃ応えてくれない。本当に何かを叶えたかったら、自分から追い求めないといけないんだ。それを知ってから僕は、ずっと七色の小鳥を探していた。
 僕の視界を覆い尽くすのは前も後ろも樹々で、木の根っこがめちゃくちゃに絡まってて歩きづらい。時折ある
 大きな茂みや深い沼なんて小鳥はお構いなしだから、僕もお構いなく突き進む。靴底はとっくに磨り減って、服の裾も擦り切れて泥まみれ。一昨日崖から転げ落ちた時に出来た右膝の怪我は、なんでか瘡蓋《かさぶた》にならずに黄色い気持ち悪い汁を出してる。
 でも関係ない。やっと見つけた小鳥はまるで僕を誘ってるみたいに、ゆっくり樹々の枝と枝を渡り飛んでいる。見失うわけにはいかない。次見つけられるのはいつになるか分かんないんだから。小鳥を追って、神様に会う。そして神様に願いを叶えてもらうんだ。

 *

 小鳥だけ見てたから、空の暗さに気付かなかった。
 正確には空を見上げても見れるのは木と葉っぱだけで、空が暗いと思ったのは単純に自分の周りが暗くなっていたから。小鳥を見上げながら歩いてたら、地面の何かに躓いて、それが何か確かめようとしたら暗すぎて何か分かんなくて、そこで初めて今が夜だって知った。夜とか朝とか関係なく意識の保《も》つ限り歩いて、食べられそうなものを見つけたら口に入れて、また歩いて、時々気絶して、どれくらい経ったか分かんないけど、また目が覚めたら歩き出す。そんなことをずっとしてたから、ちゃんと覚えてる最後の夜がいつか、はっきりとは覚えてない。
 小鳥が飛んだ。地面が見れないほど暗くなっても、あの美しい羽根は微弱な光を受けて神々しく輝いてるから、多分見失わないで済みそう。それよりも、小鳥の元に歩いて行く方が大変だ。ぼんやりとした影でしか近くのものが分かんないし、右脚はだんだんということを聞かなくなってきてる。何度も蹴躓いては地面なのか斃れた幹なのか分かんないものに自分の顔を叩きつけて、鼻血やら切り傷やらで恐らく散々になっている顔を持ち上げる。這っているのとそう大差ないって気付いたから、そこで足で歩くことを辞めた。こっちの方が安定してて、むしろ速度は上がった気がする。手探りで障害物を避けて、小鳥が止まっていた樹の元に着いた。
 小鳥はいなかった。
 嘘だ、嘘だ嘘だ何処いった小鳥は何処嘘だ違う近くにいるはず何処だ何処にいるどうして違うそんなわけがない——
 突如として溢れ出したどろりした思考の闇が、僕の意識にどんどん流れ込んで埋め尽くしていって、窒息しそうな意識の中で僕は樹の周りを這いずり回った。右膝の怪我が悪化するのも顔に枝葉が当たるのも気にしていなかった。ただただ這いずりまわって周りを見渡した。黒のグラデーションで出来た夜闇に淡く浮き上がる小さな虹は何処にも見つからなくて、焦ってその樹の幹に手をついた。
 手はつかなかった。
 その幹には大穴が空いていた。見えてないから憶測だけど。本当なら幹があるはずのところで僕が触れたのはただの虚空で、踏ん張ろうと思った足は右脚だった。動かなかった。
 そのまま僕は幹の中へと倒れ込む。同時に意識も暗がりへ落ちてく。水平よりは高い位置で何かにぶつかると思ったけど、どうやらその大穴は凄く凄く大きいみたいだ。僕は止まるあてもなく倒れていって、完全に身体が宙に浮いて、何かに触れるよりも先に僕の意識は閉じる。

 *

 瞼の反対側は、ぼんやりと明るいみたいだった。
 ぼやけていた意識が紡がれて形を取り戻すうちに、記憶もだんだんと蘇ってきた。長い間森を彷徨って、ついに七色の小鳥を見つけて、だけどその夜見失って、樹の幹の中に倒れ込んだ。身体の節々が痛くて、目を開くのも億劫。そう思っていたら、割と目は簡単に開いた。
 全てが木で出来た場所だった。地面も木、天井も木、壁も木。そして、目の前に広がるのは、床から天井までぎっしりと本が詰まった本棚。
 思わず目を見開いて身体を起こし、起こしてから全然何処も痛くなくてびっくりした。右膝の怪我も治ってる。服は一緒だけど、まるで洗い立てのように綺麗でふんわりとどこか暖《あった》かい。不思議だ。でもここが神様の棲家だと思うと、不安じゃない。
 立ち上がって辺りを見渡す。僕の後ろはただの壁だった。何処からか照らしてる淡いランプのような灯りは弱すぎて、天井際がどうなってんのか分かんない。勿論、あの小さな虹もいない。出口を探さないと。僕は視界を覆い尽くす本棚の森へ足を踏み入れた。
 森で見上げた樹々と同じぐらいの高さの本棚の間を縫って歩く。近所の図書館の壁にある一番大きな本棚と比べてたって、十倍かもっとはありそう。だけどそこに並べられているのは分厚い灰色の本ばっかで、とても奇妙だった。本棚は沢山あるけど、図書館っていうより保管庫って感じ。何分歩いたのか分かんない。少なくとも、時間を考えるのがめんどくさくなるぐらいは歩いた。そしたらふと、ちょっとした広場のような場所に出た。相変わらず本棚しかないけど、その小さな広場の中央には台座があった。地面から伸び出るような、木で出来た厳かな台座。そこには一冊、あの灰色の本が開いて置かれていた。
 もしかしたらあれは、神様が僕に与えた試練かもしれない。近づいて確かめようとすると、頁《ページ》が一つ、勝手に捲られた。そんなことが出来るのは神様しかいない。僕はそれが試練だと確信して、本に近づく足を早める。
 そしてがっかりした。そこに書いてあるのは、見たことない変な記号の羅列だった。そこに書いてある文字は左から右に不規則なリズムで光ってて、まるで読んでみろって僕を挑発してるみたいだった。悔しいけど、全く分からない。だけど神様はそんなことで諦める子の願いなんて聞いてくれないんだ。忙しいから。だからせめて分かるところを探そうと思って、僕は本を手に取った。

 世界が真っ黒になった。

 僕が立っていた木の床も、見上げるほどの本棚も、薄暗い灯りも全部なくなって、全部ただの黒になった。いや、違う、本はある。自分の持っている本の記号はだけど、持ち上げた瞬間輝きを失ってしまった。本棚にぎちぎちに並べられた本達も、綺麗に並んだまま虚空に浮かんでる。台座はあったけど、それは威厳と慈愛に満ちた木彫りのものじゃなくて、何で出来ているのかも分かんないただの円筒形の塊だった。とても怖くなって、慌てて僕は本を台座に戻す。そしたらさっきの場所に帰ってきた。本の文字はまた光り始めて、その速度は段々と早くなっていく。よく見れば、本はもうすぐ終わりだった。
 僕は台座の裏側に回る。怖くて台座に乗せてある本には触りたくなかった。きっと何もないと思っていたら、そこには鍵穴があった。その下にはあの記号が彫られている。もう一度鍵穴を覗き込んで、そして気付いた。この鍵穴、僕が持ってる鍵と全く同じ形だ。お婆ちゃんが、「これは魔法の鍵だよ」と何度も見せてくれた鍵。いつでもお守りのように首から提げていた鍵。

 お婆ちゃんが死んじゃった時、僕にくれた鍵。

 余りにも当たり前になっていた首元の重さを、ゆっくりと両手で引き上げる。所々澱んだ色をしている鈍色のその鍵を、僕は右手でそっと掴む。そして恐る恐る鍵穴に挿してく。心の何処かで渇望していた不快な抵抗感はなかった。ただ運命を受け止めるように、鍵は止まった。
 右手をゆっくりと回してく。
 カチッ、と音が鳴った気がした。
 台座に掘られている記号が、さっきの本と同じように光り出す。書いてあることは分かんないけど、何かが起きていることは分かった。色んなことが頭に流れ込んでくる。その情報の波に圧倒されて、僕の意識は真っ白に染まる——

[Install;{
 everyfile(World->administrator),
 everyfile(World->story),
 everyfile(World->memory)
 },
 folder(World->The Engine->ROM)]

 *

 これでこの物語「No.1734-N05d」は終わり。今考えればあんまり中身は無かった気がする。お婆さんを亡くした子供が、お婆さんを生き返らせるために、神様の使いの小鳥を追いかけて数ヶ月森の中を彷徨う。ただそれだけの話。確か、何かを盲目的に信じて有り得ないことを成し遂げる子供が描きたかったんだけど、よく考えればこの物語を主人公視点で見れば成し遂げたってことに気付けないわ。実際今file(World->memory->No.1734-N05d 1st)を見返しても全然すごいことをした感触ないし。次は、凄いことを成し遂げた人のそばにいた人を描くかな。
 ペン先を確認してからは、漆黒の台座に [close; file(World->story->No.1374->N05d)]と書き込む。描き終えた瞬間文字がパッと光って消え、それと同時に台座にあった本も一瞬で消えた。続けざまに[open; new file]と書こうとして、ふと思い留まり、書く文字列を[edit; file(World->story->No.0->0)]に変えた。久しぶりに、俺の自伝の続きを書いても面白いかもしれない。ただ俺が俺に語るだけの、きっと誰も見ることのない自伝。無限に続き、無限に更新しないといけないこれを書く意味があるのかなんて、俺も知らない。
 容量は先程のファイルの数十倍はあるはずなのに、俺の目の前で開かれている本の厚みは全く変わらない。まぁ当たり前だ。本の厚みなど実際にはただの|UI《ユーザー・インターフェンス》に過ぎず、俺がこれを最後まで捲る動作もただページを移動するためのコマンドに過ぎないのだから。
 俺は右手に握るペンを握りしめ(勿論これもただのUIだ)、巻末の後ろに残っている余白にペンを走らせ始めた。


 ……ん?
 俺が一体誰かだって?
 そうだな、それは難しい質問だ。
 一言では表せないが、まぁ敢えて言うとすれば……

 この世界の唯一絶対の住人であり、
 古今東西に名を知られた大作家であり、
 胡蝶の夢に囚われた夢遊病患者であり、
 償いようのない過ちを犯した大罪人であり、
 これ以上ない独房に封じられた囚人であり、
 自らの脱獄に目を光らせる看守であり、
 世界に新たな道を与えた天才であり、
 生命としての死を覆した超越者であり、

 または、まだ始まったばかりの永遠である。

 *